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ロイドがようやく決意します。現時点でランロイ要素は皆無という\(^o^)/

 

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 月曜、火曜と時は過ぎ、水曜日になった。今日は一日オフで、ランディはふらふらとどこかへ出かけ、エリィとティオは連れ立って買い物に行っている。キーアは日曜学校だ。
(あと二日、か)
ロイドは部屋の窓から差し込む西日に現在の時刻を知り、溜息を吐いた。期限は刻一刻と迫って来ていた。だが、まだ答えが出ていない。
 ごろり、とベッドに横になり、見慣れた天井を見上げる。随分と前からここに住んでいた気がするが、まだ一年も経っていないことを思い出し、ロイドは苦笑した。すっかり馴染んでしまっている。
 己の感情に正直になれば、このままずっと支援課にいたい。仲間と共に愛すべき故郷を守っていきたい。一課に移りたくても移れない者が大勢いる中で、こんな奇特なことを思うのは自分くらいだろうとロイドは苦笑する。
「一課、か…」
 捜査一課といえばエリート揃いの、いわば花形的部署で、警察官を目指す者ならば誰もが憧れる課だ。そして、兄が命を賭して挑んでいた仕事でもある。ガイの背中を見て育ってきたロイドも、当然ながら「刑事」に憧れを抱いていたはずなのだが、以前ほどの魅力を感じない。それは支援課の存在に意義を見出したからであり、離れがたい仲間がいるからであり、辞令の背景を知っているからだろう。
(俺の能力が見込まれての辞令だったら、喜べたかもしれないんだけどな)
ロイドは抜きすさんで優れた身体能力を持っている訳でも、特殊なスキルを習得している訳でもない。警察学校在学中に捜査官試験に合格する者は多くはないが、少なくもない。一課や上層部には、もっと高学歴の者がごろごろいる。つまり、ロイドが特別なのではないのだ。卑下しすぎるつもりもないが、それは自分自身が一番分かっている。だから余計に腐ってしまう。
 はぁ、と、ロイドはもう幾度目かも分からない溜息を漏らした。どんな詩人も口を揃えて言うが、変わらないものなどない。今がどんなに大切で、いとおしくても、時の流れは否応なしに世界を推し進め、ちっぽけな人間を押し流してゆく。ロイドも、仲間も、支援課も、このままの形でずっと留まれはしない。
 警察に正式な籍がある自分はともかく、ランディはその気になればどこへでも行ける。エリィはいずれ政治の道へ進むだろうし、ティオもいつ出向が解除されるか分からない。そもそも、クロスベル警察の基盤自体が緩んでいる現状では、課の存続自体も危うい。そして、支援課がなくなれば、クロスベルの歪みに泣く者は益々増える。支援課が創設される前の状態に戻るだけだが、どれほど多くの人々が動かない警察に絶望していたのかを、ロイドは身を持って知っていた。
 警察という組織の指の隙間から零れ落ちるものを、救いあげる手がなければならない。支援課はクロスベルに必要だ。自分が一課に移れば、存続の可能性が少しだけ上がる。だが、必ず残るという保証はないし、仲間達とも離れなければならない。一課でもそれなりにやってゆく自信はあるが、求められる役割がお飾りというのは辛すぎる。
 近いうちに訪れる悲しい未来から目を逸らし、自身の心の平穏を優先して残るか。皆のために心を抑え、自ら茨の道に身を投ずるか。選択肢はどちらかしかない。どちらを選んでも辛い。
『お前の目指すものは、何だ?』
セルゲイの言葉が蘇る。あの時返せなかった解を、ロイドは口の中で小さく呟いた。平和、と。漠然としているが、これしか答えようがないのだから仕方がない。
 ロイドの夢見る「平和なクロスベル」を作るためには、異動を受け入れるしかない。今とやり方は違っても、結果として皆を守ることに繋がるはずだ。自分が抜けても、残ったメンバーが支援課を盛り上げてくれるだろう。
 ロイドは想像する。陽だまりの中で笑い合うランディ、エリィ、ティオ。駆け寄ってゆくキーアと、少し離れた所から見守っているセルゲイにツァイト。その光景の中に自分はいない。
「っ…!」
喉から何かがせり上がって来て、ロイドはがばりと起き上った。いつの間にか握り締めていた掌には、じっとりと冷や汗が滲んでいる。
(どうするべきか、なんて、もう分かってる。でも、俺が、行きたくないんだ。皆と別れたくないんだ)
ロイドの中で、支援課が占めるウェイトは重い。事件を追う中で理解を深めた仲間達とは、もはや家族と言ってもいいくらいの信頼で繋がっているし、寮は我が家のように感じている。両親と兄を相次いで亡くしたロイドにとって、おかえりと迎えてくれる人がいる暖かな部屋は、何物にも代えがたい宝物だった。心を許した相手と共に在りたいと願うのすら罪だというのならば、女神は余りにもロイドに対して厳しすぎる。
 「……外、出ようかな」
このまま部屋の中で燻っていても、心を決められそうにない。のろのろと起き上ったところで、まるで計ったかのように呼び鈴が鳴った。今日のように皆が休みの場合、支援課ビルの扉には受付時間外の札を出してある。尋ねてくるのは知人か、余程急ぎの用事がある者だ。
 ロイドは慌てて靴を履き、階段を下りる。来客の姿を確かめるために玄関を見ると、そこには見知った人物が立っていた。
「ダドリー、さん」
捜査一課のエースは、今日も鍛えた長身をスーツとコートに包み、隙のない格好だった。伺うように辺りを見回した彼は、「他の奴らは?」と尋ねてくる。ひとまず来客スペースのソファを勧め、自身も腰を下ろしてロイドは答えた。
「今日はオフです。皆出掛けてます」
「そうか。休暇中に悪かったな」
謝られ、ロイドは面食らった。プライドの固まりのような目の前の彼からは、今まで一度たりとも謝罪を聞いたためしががないからだ。表情から内心を察したのか、ダドリーは途端に不機嫌そうな顔になる。
「失礼だぞ。私が謝ることを知らないとでも思ったのか」
「い、いえ、そういうつもりじゃ」
この場を切り抜けるためにお茶でも入れようと腰を浮かしかけたが、先に客に制される。
「そこまで時間は取らせない。…単刀直入に言おう。捜査一課へ来い」
「っ!」
ストレートすぎる物言いにロイドは声を失う。ダドリーは双眸に苛烈な色を宿らせ、言った。
「お前とて、今のクロスベルの状態が見えていない訳ではないだろう? 警察や警備隊、議会からルバーチェと絡んでいた屑どもを追い出せたのはいいが、膿を出し切った訳ではない。寧ろ、今残っているのは、薬なんぞに手を出さないくらいには頭のいい連中だ。対抗勢力がいなくなり、警察もろくに機能していないこの状況を、奴らが見逃すはずがない。クロスベル州を、そして市民を守るためには、何としても警察の弱体化を食い止めなくてはならん」
 治安と薬物は密接に関わっている、警察学校でもそう習った。薬が流行り始めた当初こそ、売人の稼ぎは増えるだろうが、一時を過ぎ、経済が疲弊してしまえば、薬を買う余裕がある者も限られて来る。だから、長く確実に利潤を吸い取るためには、健全な社会の裏側に沿うように商売をした方がいい。
 マフィア達はその辺りをよく心得ていて、クロスベルに根を張る者達は、これまで殆どと言っていいほど覚醒剤には手を出さなかった。だが、ルバーチェと青い錠剤が、そのパワーバランスを崩してしまった。
 一度壊れたものを、再び元に戻そうという奇特な悪人はいないだろう。ルールを守ることを無意味だと判断されたら、クロスベルの秩序はあっという間に崩壊してしまう。あの夜聞いた爆音を、悲鳴を、炎の中に浮かび上がる壊れた街を、そして血を流し倒れ伏す人々を思い出し、ロイドは戦慄した。
 ダドリーはずれてもいない眼鏡を直し、続ける。 
「近々大きな組織再編があるが、上は支援課を潰すつもりでいる。この非常時に、遊撃士の真似事で人を遊ばせておく余裕はない、とな。セルゲイさんは反対している――自分の首を賭けて」
「!?」
目を見開くロイドに、対面に座った男は眉間の皺を深くした。
「自分の上司が何をしているかくらい掴んでおけ。言っておくが、支援課はセルゲイさんあってのものだし、後任を勤めようとする物好きな奴なんて他にいないぞ。セルゲイさんがいなくなったら、今回の改組は乗り切ったとしても、長くは続かないだろう」
「……」
 ロイドは膝の上に置いた手をきつく握り締めた。ダドリーはあえて口にしていないが、おそらくロイドの異動と支援課の存続は交換条件になっている。課が違ってもセルゲイを慕うダドリーが、こうして直々に説得に現れたのが何よりの証拠だ。だが、セルゲイは何も言わなかった。ロイドはいかに自分が上司に守られていたかを知った。
 揺れるロイドの瞳をひたと見据え、ダドリーは言う。
 「だから、ロイド・バニングス。一課へ来い」
答えを返せずにいると、彼はにやりと口の端を吊り上げた。
「安心しろ、お前一人が来たところで劇的に事態が改善するとは、誰も思っていない。それに、一課に来る以上は、お飾りにしておいてやるつもりもない。弱音を吐く暇もないくらいにこき使ってやる。三年…いや、二年でお前を支援課に返してやろう。もっとも、その時点で課が残っていれば、だがな」
(この人は…)
 ロイドは詰めていた息を吐き出した。辛辣ではあったが、ダドリーはロイドの欲しがっていた言葉を殆どくれた。期待されていないことが嬉しいというのも情けないが、心が少し軽くなった気がする。
「…長話になってしまったな。一課の業務について知りたければ、いつでも連絡してこい。待っているぞ」
ダドリーは立ち上がると、コートの裾を翻し、颯爽と去ってゆく。待っている、と言ってくれた彼の声が、いつまでも耳に残っていた。


 しばらくぼんやりした後、ロイドは外へ出た。キーアを迎えに行くためだ。
 既に街は夕焼け色に染まっている。西通りから住宅街を経て大聖堂に近付くにつれ、ロイドと同じく子供を迎えに行くのであろう親の姿がちらほらと見え出した。いくつか見知った顔があり、目が合うと互いに軽く挨拶をする。
「よぉ、ロイドさん。キーアちゃんのお迎えかい?」
話し掛けてきた三十過ぎの男は、キーアと仲が良い少女の父親だ。ロイドは笑顔を作って頷く。
「ええ。皆と一緒に遊びながら帰ってくるのが楽しいみたいなので、迎えに行かない方がいいかとは思ったんですけど、つい」
「ははっ。確かに。うちのガキも、お父さんは来なくていいよーなんて寂しいこと言うようになったもんな。でも、警察も警備隊もまだあんな状態だし…っと、悪い」
父親はロイドが警察官だということを思い出したのか、慌てて口を閉じる。ロイドはゆっくりと横に振った。
「気にしないでください。事実ですから」
「いや、でも、あんたのせいって訳でもないだろう。むしろよくやってくれたよ。クロスベル・タイムズを読んだが、まさしく英雄じゃあないか。ロイドさんと風の剣聖がいれば、この町は大丈夫だな!」
 何も知らない、善良な市民の好意が胸に刺さる。自分は英雄などではない。だが、「クロスベル警察特務支援課のロイド・バニングス」に寄せられる信頼を裏切る訳にはいかない。ロイドは軋む胸に気付かないふりをしながら呟く。
「…俺なんか、アリオスさんの足元にも及びません」
「まぁまぁ。謙遜しなさんなって。あんたはまだ若いんだ、これからだよ」
男が笑いながら肩を叩いてくる。顔には笑みを浮かべつつも、裏腹に心は沈んでゆく一方だ。
 重い足を動かし、当たり障りのない話を続けながら、大聖堂への階段を上る。礼拝堂の前に差し掛かった所で、風に乗って流れてきた歌声に、ロイドは足を止めた。横を歩いていた男も立ち止まり、きょろきょろと辺りを見回している。
「歌…?」
 それは、とても美しいソプラノだった。聖歌の調べとはまた違う、もう少し俗的で、けれども決して下品ではなく、心を掴む不思議な旋律。小鳥の囀りのように軽やかなのに、何故だか物悲しい感じがする。繊細だが確かな存在感があり、高く、時に低く、強弱を付けて紡がれる調べに、いつの間にかロイドは引きこまれていた。
(まるで、鳥の声みたいだ)
浮世離れしている、とでも言うのだろうか。こんな歌を聞いたことも、こんなにも心を掴まれたことも、ロイドは未だかつて一度もない。
 やがて歌の余韻が風に解け、拍手が沸き起こる。ややあってから元気のいい挨拶と、次いで子供たちの声が聞こえてきた。どうやら授業が終わったようだ。
「……なんか…すごいきれいな歌だったな…」
「ええ…」
すっかり心を奪われた男二人が立ちつくしていると、目の前で扉が開き、子供達が駆け出してくる。姿を見つけた娘に駆け寄られ、男は会釈をして去って行った。ようやく歌の余韻から抜け出したロイドは、幼子の群れの中から黄緑色の頭を探す。いた。だが、声を掛けるよりも早く、キーアの方からロイドを見つけてくれた。
「あっ、ロイド、ランディー!」
「?」
 辺りを見回すと、ランディが段を昇り切り、石畳の上に体を載せた所だった。赤銅色の光の中でも、紅の髪はよく映える。彼はロイドを見て軽く目を見開き、ふわりとやさしく微笑んだ。どきり、とした。ランディは格好良いし、美人だ。あんな綺麗な笑顔を見せられたら、誰だって惹かれるに決まっている。彼に夢中になる女性の気持ちが少し分かった気がした。
「よぉ、ロイド。お前さんもお迎えか?」
「あ、ああ。時間があったから」
「俺も近くまで来たもんで、ついでにと思ったんだけどさ。俺ら、揃いも揃って親バカだな」
 ロイドの隣りに並び立った彼は、なかなかこちらに来ようとしないキーアを目を細めて見遣る。少女は友人らと一緒に、一人の若い女性を取り囲み、何やら熱心に話し掛けていた。女は少し困惑を見せていたが、それでも少年少女の言葉に真摯に耳を傾けている。
「なかなかの美人じゃん」
ひゅう、とランディが口笛を吹いた。職業柄、どうしても観察をしてしまうが、女性は二十代前半くらいで、ランディの言う通り美女と評して差し支えのない造作をしている。肌は白く、腰のあたりまで伸ばした真っ直ぐな髪はブルネット。体は華奢で、白いワンピースからはみ出した手足は頼りなかった。
(もしかして、さっきの歌は、この人が?)
キーアのクラスを担当しているのは、残念ながらロイドの恩師であるシスター・マーブルではなく、初老のシスターだ。日曜学校では、教師のシスターにアシスタントとして若いシスターが付くこともあるが、女は僧服を着ていない。日曜学校には、ゲスト講師として街の大人が呼ばれる時がある。となると、消去法で目の前の女性が歌い手となる。あの細い体のどこから、あんなにも堂々とした声が出せるのだろうか。
 「おやおや、ロイドくんはああいう子が好みなんだ?」
頭上から降ってきた笑みを孕んだ声色に、慌てて視線を逸らす。つい気になって凝視してしまっていた。そのままにしておくと、勝手に話を盛り上げられてしまいそうなので、ロイドは努めて平静に否定をした。
「違うって。さっき、すごく綺麗な歌声が聞こえたんだ。あの人が歌ってたのかなって」
「へー。…ああ、もしかして、あの子が『ナイチンゲール』なのか」
「? ナイチンゲール?」
ランディは口にした後、僅かに苦い顔をした。だがすぐに表情を緩め、抑えた声で言う。
「そ、ナイチンゲール。彼女、すごく歌が上手いから、そう呼ばれてるらしい」
「そうなのか。全然知らなかった」
 ナイチンゲールは小夜鳴鳥と書き、その美しい鳴き声から歌の名手の例えとしても使われる。その名を戴く女性がいるのを、職業柄クロスベルの噂にはそれなりに通じているロイドは全く知らなかった。ランディはどこで知ったのだろう。
 少し考え、ロイドは答えを見つけた。夜の街だ。カジノや怪しげな酒場など、ロイドなら用事がない限り足を運ばない場所に、彼は頻繁出入りしている。ランディほどの腕ならば危険なことは先ずないし、彼自身も節度を守って遊んでいるため咎めるつもりはないのだが、自分の知らない彼がいるのを改めて突き付けられ、少し寂しく、また、面白くない気分になった。
(俺、やっぱり、情緒不安定なのかもしれない)
好意を持っている相手のことを、もっと知りたいと思うのは当たり前なのだろう。しかし、ランディに対する興味は、少し過ぎているかもしれない。彼だけがどうしても気になってしまうのだ。
(ランディに憧れてるから…かな)
だが、自分は彼の親でも恋人でもない。あまり介入しすぎるのはよくないと自戒し、ロイドはそれ以上の言及を止めた。
 改めてナイチンゲールの二つ名を持つ女を眺める。ランディが夜の街でその名を知ったのならば、彼女の生業も陽の下を避けるようなものということだ。だが、キーアに笑いかけている彼女には、歓楽街の住人特有の空気は微塵もなく、清楚さすら感じる。いかがわしい職業だと早合点しそうになった己を恥じ、ロイドは心の中で謝罪した。
 そんなロイドの内心など知らず、ランディは地平線を眺めながら暢気に呟く。
「なんていうか、平和だな」
高台にある大聖堂からは、稜線に沈んでゆく夕陽がよく見えた。頬をオレンジ色に染めたランディは、流れてゆくやわらかな風に長い髪を流し、はしゃぐ子供らをやさしい目で眺めている。彼の心は凪いでいるようだった。
 煉獄にいた、と彼は語った。断片的に聞いた、猟兵としての彼の過去は、ロイドからすれば凄惨としか表現できない。絶えず血と硝煙に塗れ、神経を張り詰めて命をやりとりする日々では、安らげる時などなかっただろう。
 その彼が、こうして穏やかな時間を享受している。それだけで、今この平和がとても尊いものにロイドには思えた。彼を再び戦場へ駆り出してはならない。青年にようやく訪れた、平穏な日々を守りたい。不特定多数の「誰か」ためではなく、自分にとって大切な人のために、自身が何かをしたいのだ。自分の原点にあった想いを、ロイドはようやく思い出した。
(そうだ、俺は――)
 「シスター・アビゲイル、さようならー!」
「さようなら。気を付けて帰るのですよ」
一人、また一人と、子供達がシスターに見送られて帰ってゆく。最後に残ったのはキーアだけだった。日は殆ど沈み、辺りは暗くなっている。ロイドはまだまだ話し足りなさそうなキーアに近付くと、彼女のふわふわした若草色の頭に手を置いて窘めた。
「キーア。暗くなってきたし、そろそろ帰ろう」
「えー?」
唇を尖らせて抗議する少女に、今度はランディがいたずらっぽく言う。
「ほら、皆もう帰っちまったぞ。それに、そちらのお嬢さんも、そろそろ家に帰らせてあげないと。な、キー坊」
 キーアはその大きな瞳で女性を見上げた後、こくり、と頷いた。幼子の代わりにロイドは頭を下げる。
「すみません、すっかりお引き留めしてしまって。もう暗いので、よければ家まで送らせてください」
「いえ…でも」
桜色の唇から洩れたのは、可憐な戸惑いだった。確かに、いくら子供が一緒とはいえ、初対面の男に自宅まで着いて来られるのは抵抗があるだろう。仕事中なら警察官のバッジを付けていたが、今日は私服だ。身分を証明しようと、ポケットに手を突っ込みエニグマを探していると、シスターがフォローをしてくれた。
「セレストさん。そちらの方はキーアの保護者で、クロスベル警察のロイドさんとおっしゃいます。お連れの方も警察官です。決してあなたを害したりしないのを、私が保証しますわ。暗い中、一人で帰るのは危ないですから、できれば送ってもらってください」
「…シスターが、そう仰るのなら。お言葉に甘えて、お願いします」
セレストは流れるような動作で礼をする。さらり、と黒髪が肩から落ちた。
 シスターに挨拶をし、ロイドはキーアと手を繋ぐ。少し湿った、子供特有の熱い体温に、どうしてかとても安堵した。慣れた様子でセレストをエスコートするランディが、緊張を解そうと話を始める。
「セレストさんは、もしかして講師として日曜学校に呼ばれたんですか? さっきロイドが、すごい綺麗な歌声を聞いたって」
「ええ、そうです。聞かれてたんですね。ちょっと恥ずかしいです」
答える声は小さく、ますますもって先程の歌声を発した者と同一人物とは思えない。羞恥からか俯いてしまったセレストの代わりに、キーアが得意げに言った。
「セレストの歌、すっごく上手で、キレーなんだよ! 今日はね、トクベツに、シスターも知らない歌、歌ってもらったんだ! ええと…小鳥の歌?」
曲名が思い出せないのか、首を傾げるキーアを見て、セレストは少女のように軽やかに笑う。
「夜鳴く鳥の歌、ね。本当のタイトルは、その鳥の名前なの。次回までの宿題だから、調べてきてね」
「うん! ちゃんと調べてくるから、また歌ってね! 約束だよ!!」
 屈託ないキーアにつられ、皆が笑顔になる。我が子のような少女が可愛くて仕方がない。同じように横で相好を崩しているランディと目が合い、「やっぱり親馬鹿だな」と互いに苦笑する。二人のやり取りを見ていたセレストがくすくすと笑みを零した。日は落ち、風は少し冷たくなってきたが、心があたたかいせいか寒さは感じなかった。
 (守りたい、こんな当たり前の、でも、いとおしい日々を。皆のためじゃなくて、俺がそうしたいんだ)
きゅう、とちいさな掌を握り締め、ロイドは決意する。別れの日はすぐそこまで来ていた。




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